My life! after diagnosed with BC

羅患したことを受け入れる難しさ

どんなに気にしていないふりをしても、元気に元通りになったと思っていても、再建に満足した気持ちになっていても、やっぱり私はココロの奥で気にしている。

それに気づいたのは、同じ病気の人が、

バレたらどうしようと気にしながら過ごすのは哀しい。病気になったのは自分が悪いからではないのだから、引け目に思わなくて大丈夫。傷があっても形が変わっていても、辛いことを乗り越えた証なのだから、恥ずかしく思ったり隠そうとしなくても大丈夫。

という趣旨の書き込みをしているのを見た時。

もっとずっとシンプルな言葉で書かれていたのだけれど、ココロをグッと掴まれたような感覚でどきどきした。心に響くってこういうことか、と思った。

これは付き合ってる相手に対しての話で、それはそれで私も共有する方向でいいのだけれど、それ以外の関係が薄い人にはやっぱり知られたくない気持ちが今でもある。

発覚当時は、同病芸能人の話題が毎日取り上げられていた事もあって、同じような深刻な状況だと勘違いされるのがイヤだったり、がんという病名はやっぱりインパクトが大きくて話した相手が困ってしまうので申し訳ない気分になったり、会社の一部の噂好きな人たちに知られたら、あることないこと言われるのが目に見えているのが我慢ならなかったり。
理由は色々あるけれど、自分自身が羅患したことを引け目に思っているからそう感じるのだと思う。病気になってしまった原因ではなく、がん患者になってしまったということ。

「仕方がないよ、それだけ辛かったのだから」とか「普通しない経験をしてるのだからどう感じてもいいんだよ、大丈夫」とか言ってもらって、そんなものなのかな、とも思っていたけれど違ったっぽい。

罹患したのは(食生活やアルコールとか)自分の責任だと思ったりは全くしていないし、子供を産まないことは両親に多少後ろめたいけれど元々出産希望はなかったし。早期発見で深刻ではなかったことは不幸中の幸いだし、治療の内容も納得している。
アタマでは理解していても、今でもやっぱり心が追いついてきていないかも。

私自身がココロのどこかで引け目に感じていたから、できるだけ知られたくなかったし話題にされたくなかった。その話題になった時に受け流す自信がなかった。

 

夏に帰省していた友人と1年ぶりに会った時、「元気そうになって良かった、去年と様子が全然違う。去年は心配だった」と言われた。

同席していた頻繁に会っている友人も、「そう、元気になって落ち着いた。去年は当たりが強かった」と笑っていた。

「そんな面倒な状態だったのに話を聞いてくれて、連れ出してくれて、また逢おうと思ってくれてありがとう」と言ったところ、「普通でしょ。逆の立場だったとして、私が情緒不安定でキツイこと言うからって距離をおく?面倒だから会わないでおこうってなる?なんでも受け止めるでしょ」と即答だった。

・・・ありがとう。(聞いた時、ちょっと泣いてしまった)

ありのままの自分を認めて受け入れるのって難しい。
でも、自分が思っている程悲観しなくても、想像したよりもずっと寛容に今の私の事も受け入れてもらえるのかもしれない。

もう少しで告知から2年。そろそろ、もっと自分の事を認めてあげたいと思った。

 

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もうすっかり秋の空。