My life! after diagnosed with BC

当時の自分の気持ちを思い出して

泣かない
泣きたいのはこっちなんだけど、病人に気を使わせないでよ、泣かれると困るんだけど、そんなに悲観されても重い、可愛そうがられるのはイヤ、と思った。

聞かれていないのに自分の事を持ち出さない
少しでも参考になれば、と過去の自分の事を引きあいに出さない。状況はそれぞれだし、私だって今と当時の気持ちは違ったはず‥

知ったかぶりをしない
なんとなく病気や治療に関して調べたりしたけれど病状や詳細がわからないままだし正しく理解できていないかも。自分が見聞きしたことを基にして話さない。

同情しない
ものすごく大変なことが起きているということは理解しても気の毒だと思わない。雰囲気ですぐわかる。その時の精神状態によっては、かわいそうがられる=上から目線に捉えてしまう。
当人は自分が気の毒がられて当然の状況なのだとわかっていても、実際に他人から気の毒がられるのは不本意。自分で思うのと他人から思われるのは別!

理詰めで話さない
頭でわかっていても気持ちが追いつかないことがほとんどなのだから。そのギャップを埋められなくて苦しいのに、綺麗事言われても対応できない。

否定しない
うーーん‥と思っても否定しない。あまりにダメな事でも、真っ向からは否定しない。治療したくないとか言っても。

楽観的なコメントは控える
(多分)慰めようとしてだとしても、大したことないとか、知り合いは元気にしているとか、大丈夫とか言わない。何が大丈夫なの、何がわかるの?判ったふりしないでよ、大変なんだから!!と、不愉快だったから。「体表だし、今すぐ命に影響しない」と自分で言ったけれど、それがよかったことなのだとすぐに前向きにプラス思考にはなれない。生きてさえいれば、とか言わないで。
治療中の今でも人口更年期症状に関して、そのうち皆なるんだからとか、暑いだけでしょとか、私も最近更年期な気がしてさーとか、気楽に言われると不愉快。強制的にエストロゲンゼロの状態の辛さはあなたに判らないでしょ、とイラっとする。
ココロ狭い‥?

こちらが悲観的にならない
楽観的も不愉快だけど、あまりに悲観的になられると困るし重い。手術してみないとわからない事だってあるし。

相手の悲観的・後ろ向きは受け入れる
そんな事ないよ、大丈夫とか言わない。だって不確定な未来が不安なんだもん。手術前や病理結果が出るまで色々どうなるのか未確定なんだし、この先の人生大きく変わるかもしれないのに、心配して不安がって何が悪いの?当然でしょ!?と思っていた。今目の前の事実だけを見る、不確定な事を心配しない、心配しても結果は変わらないとか綺麗事言わないで!という気分だった。

気分のムラ、暴言を真正面から受けない
人生最大最悪くらいの出来事なのだから平静じゃなくて当然。普通そうなふりをしていても心の中はぐちゃぐちゃ。そんな時の言葉や考えはその時の悲しい心に浮かんだことで一時の気持ちかもしれない。言われても聞きながす、あの時私にこう言ったでしょとか思わない、ムキにならない。今は相手優先。

頑張ってと言わない
もう十分耐えてるのだからこれ以上要求しないで、放っておいて、と自暴自棄な気分になる。頑張るか頑張らないかは私が決める事で指示される事じゃない!と不快になる。

自分の自己満足じゃないか確認
お見舞い、お守り、その他諸々。閉じこもりたい気分だったから?卑屈になってひねくれていたから?なんにしても、当時の私には重荷だった。
それなのに、いざ他の人に対してとなると、無駄だと分かっていても何かせずにはいられないし、出来ることはなんでもやりたくなった。でもそれは私の気休めであって、相手の為ではない。ひねくれ過ぎ?
とはいっても、その気持ちがうれしいこともあればそうでもない時もある。
私がうれしいことも別の人もうれしいとも限らず、私が要らなかったことが他の人には必要なこともある‥難しい。

 

話したい事を話してもらう、否定せずに聞く。聞かれたことには断定的にならないように、不安を煽らないように、でもちゃんと答える。ごまかさない。

気持ちが不安定で当たり前。何を言われても心の底から気持ちは晴れないし、些細な言葉も傷つくし、気を使ってくれていると分かっていても気に入らない時は気に入らないし、急に不安で悲しくもなる。突然涙だって出る。私は自覚症状がなかったけれど、今感じている不調でさらに不安になるだろう。

同じような病気をした人にしかわからない事や気持ちがあると思った。話しているうちに泣いた事も何度もある。でも話すことで少しでも楽になれるかも。
でも、話したことで余計不快になったり不安にさせたりしたくないと、書き出してみたけれど、もう忘れてしまっていることもあったし、うっかり言いそうなこともあった。

言ってもらって・してもらって心強かったこと、うれしかったことも出来るだけ思いだそうとしている。

多分それは色々なカタチや方法で、漠然としていて言いようのない私の不安を受け止めてくれたことだったのではないかと思っている。

f:id:mylifeafterbc:20191005074429j:plain

私の告知も10月だった。もうすぐ3年も経つんだ。