My life! after diagnosed with BC

2018年 最後のパーソナルヨガ


こちらもこれで今年はおしまい、何がしたいかを再度尋ねられる。
今の状況:
・ここしばらく、背中の筋肉が凝っている
・ここ2、3日眠くて仕方がない
・目は出血したけど特に問題はない

眠くて仕方がない、の理由をカパが乱れると怠くなり、それによって眠たいのでは?と探してみるがあまり該当しないらしい。

上半身中心にほぐすアーサナと、バランスをとる木のポーズ。ついている足はしっかりと4点で大地をとらえて根を張るように安定させ、上半身は枝葉が茂るイメージで空と地面の両側から引っ張られるように伸びる。

 

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これがぐらっぐらで全然キープできない。ようやくなんとか‥と思っても、呼吸を意識した途端にバランスを崩す。
これに対するアドバイスとして、その日その日でちょうど良い(足の)位置は違うし、できる日もあればできない日もある。それをイライラしないでそのまま受け止める事。
できない自分にイライラしたり悔しくてムキになるのを見透かされたよう。

関節の角度や筋肉の付き方、柔らかさなど、体のつくりには個人差があるのだから左右差があっても当然、アーサナも見本と同じではなくてもいい。脚の角度や頭の角度が本やDVDや先生と同じにならなくても、その人その人にあった位置があるので、呼吸が入って気持ちが良い位置でキープできる事が一番大切とのこと。

ハイランジ-三日月のポーズ、肩を外旋させる橋のポーズなどの後に瞑想。

最後に色々話している中で、本来はピッタが多いのかもしれない、最初の問診ではカパとヴァータだったけれど、と言われた。
カパが乱れているのは目の出血、鼻が詰まる、眠いなどで表れているらしい。
ラクリティという、その人の生まれながらのドーシャ(=体質)と今は異なっているのだろうとのこと。
ヴィクリティはバランスの乱れ、ナーディはプラーナの通り道のことをいう。

バランスの話からカラダの中をエネルギーが流れる経路がある、本来の自分の姿に戻ることができるなら、ふらついたり揺れても構わない。ブレないココロとか言うが、ブレても大丈夫。という話から、本来の自分の姿ってなんなのか、解らない事に気づく。

自分が何をしている時に自分らしいか、何をしている時に幸せだと感じるかと尋ねられる。これもよくわからない。

では、と子供の頃に何をしているのが楽しかったかとの問いには、1人で本を読んでいるのが好きだった、その話の中に自分を組み込んで想像するのが好きだった、とようやく答えられたが、子供は得意だから、という反応。うーーん、これも何か違うのか。

大人になってからは、イライラしたり悔しかったりストレスがある中でも、たくさん仕事をして、それでもそれが楽しかったのが自分らしかったのかもしれないと感じる。
でも、わざわざストレスを抱えてカラダに無理をかけて仕事をしていたことがわかっているのに、それが楽しいこと・自分らしいというのはヘンな気もする。
もしかすると、今はできないからできなくなるので、覚えている直前の状態に戻りたい一心でそう思うのかもしれないとふと思った。
病気になってから今までの「元に戻りたい」という必死の思いに疑問を持った。もしかして本当に戻りたいのではなくて、錯覚なのかも、と思ったことが衝撃だった。2年間固執し続けた事が、ただの執着だったという事?

でも、戻れますよと言ってくれた。それが本当に自分の姿なのであれば、ちゃんと戻れる。それを探して行くのがヨガやアーユルヴェーダですよ、と。

偶然見かけて珍しく即決で連絡してみたパーソナルヨガ、体調的な変化は(未だ?)感じることができていないが、終わった後にはいつも心が穏やかになる。自分の為に使う時間として続けていきたい。
来年もよろしくお願いします。