申し込みをしていた、アーユルヴェーダサロンでのパーソナルヨガレッスン。
ヨガと言えば、以前通っていたジムのスタジオレッスンで「両手両足にココナツの実が乗っている重みを感じ‥」というトレーナーの説明に、初回参加の私はイメージが面白すぎて&意外過ぎて、笑いをこらえるのに必死になって申し訳なくなった記憶とか。
今通っているジムのヨガのクラスは人数が多くて人がぎっしり。自分の頭のすぐ後ろに他人の足がある、自分の足が他人の頭のすぐ後ろにある‥という光景とか。
そして私は体が硬くて、脚を延ばして座って体を90°に保つのが精一杯。骨盤を立てて座って、というただ座るという簡単なことすらうまくできずに自己嫌悪‥とか。
なので、パーソナルとはいえ、結構ドキドキしながら向かう。
迎えてくれた方は、声のトーンや話し方、会話の間、インテリアの雰囲気など色々違和感なく心地よい。最初は少し緊張したけれど、あまり広くはない部屋で一緒の空間にいても、息苦しくならずにリラックスしていられる。これなら大丈夫そう。
まずは着替えから。その間にハーブティーを用意してくれる。お茶を飲みながらドーシャの質問用紙に記入する。「元々の」ではなく今の状態を記入するようにとのことで、それを元に追加の質問で薬やその他の影響を補正していた。
3つのドーシャのうち「ピッタとヴァータも本来持っていると思う」という言い方をしていたので、今の私はカパが優勢なのかも?
そして、ヨガでなにを目的にしたいかと尋ねられる。
病気や薬の影響で失ったバランスを整えたい、代替え医療としての緩和の為の瞑想にも興味があるということを伝える。
一通り話したところでヨガ開始。
難しいポーズができるようになるとか、体が柔らかくなるとかは今は求めていない。整える、をメインにしたいというのを酌んでくれたのか、呼吸を意識し整え、体を緩めるポーズが中心。呼吸しながら自分のカラダと向き合い、カラダの声を聞く。
今の私には未だ自分のカラダの声は全く聞こえないけれど(当たり前)、そのうち解るようになるといいなあ。
話している中で、疑問に思うことや大切なことに対して、アーユルヴェーダの考えかたに沿って「何故そう考えるのか」を説明してくれる。
例えば、ヨガの経験を聞かれた時に、ジムのスタジオレッスンに出た事はあるけれど、からだが硬くて思うようにできなかったりするのがストレスだったと伝えると、気持ちのよい範囲で呼吸が入るところでよいのでインストラクターと同じに出来なくて構わないとのこと。
何故なら、8個のするべきではないことがあって、その中の一つがガンジーも説いていた非暴力、アヒムサ。ヒムサが暴力で、アは否定。誰かと競争したり負けたくない、という気持ちは暴力でヒムサになる。そういう感情を起こすのは本当のヨガではないから、ということだそう。
その話を聞いている時は、なるほど!と思って聞いたが、暴力がないのはよいけれど、競争のない世界というのはピンとこないかも。。
でも、理屈っぽい私のなんで?どうして?に応えてくれるのはありがたい。
あと、ヨガはその人にあわせて無理がないことが大切。なので、からだが硬いから、と敬遠されるのがとても残念だと言っていた。
確かにヨガ教室とかに行くのに体が硬いとかは躊躇する理由になるかもしれないし、ジムのスタジオレッスンでも自分に合ったところまで、がよくわからなかったりあんな体勢ムリー‥と思ってしまうかも。
私自身、今までイメージしていたヨガとは異なる一面を少しだけだけれども見ることができた気分。静かで心穏やかになれた。
スリランカの猫は幸せそう。道の真ん中でも入口マットの真ん中でも寝ていられる。
慈愛の心で大切にされているのだろうか。
二週間後に、今度は1.5時間のレッスンをお願いすることにした。
ジムの運動とは違う、自分のために使う時間。自分を大事にしてあげるための時間として続けてみようと思う。