My life! after diagnosed with BC

主治医との距離感 とか信頼感 とか

多くの人がそうだと思うが、私は自分の主治医が好きだ。
最初は成り行きだったが、この先生にお世話になれてよかった、これからもできれば寛解と言ってもらえるまでお世話になりたいと思っている。
が、これって依存なのでは、頼りすぎて迷惑をかけているのでは?と不安になることもある。

がんは、一度発症すると、検査から手術後の療養まで、治療期間が長くなることも少なくありません。必然的に、主治医との付き合いも長くなりがちですし、場合によっては一生の付き合いになります。ですので、最初の段階で、医師と患者が良好な信頼関係を築けるかどうかが、がん治療を根気よく続けていくための大切な条件の一つになります。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO88805940S5A700C1000000channel=DF140920160927&n_cid=LMNST008


医者が画面を見っぱなしでこちらを向いてくれない、という話はよく聞く。幸い他の科でもあまりそういう医師に当たったことはないし、主治医は診療時間の大半はこちらを向いてくれる。入力することや確認することがあるときに画面を見、その画面を見せて話をしてくれる。入院中や外来中、私のココロが折れていて先生の目を見れなかった時でもずっとこちらを見てくれていた。
そんな先生に診てもらえることはとてもとてもありがたい。でもそれは先生の自己犠牲で成り立っていたということをに気がついていなかった。
急かしたり遮ることなく話を聞いてくれ、目を見てわかりやすい説明をしてくれる。不安があるのは当然でそれを我慢する必要はないと言ってくれる。それはどの先生でもしてくれている訳ではないということは薄々聞いている。確かに外来で待ち時間が長いのも一番遅くまで外来をしているのも主治医だ。他の先生方が早々に外来診療を終わらせて戻っていく中、主治医の患者が待合に残っていることも多い。入院中の夜の回診も、外来担当日には間に合わず他の先生方と一緒には来ないことも多かった。それでも入院中には「外来ではなかなか一人一人に時間を割けないんだよね、今ならゆっくり話せるよ」と言って時間を作ってくれたこともあった。
この先生が主治医で私はどれだけ救われたのだろうか。

別の患者さんとのやり取りをみかけると、もっと丁寧もしくは距離を保ったやり取りをしているように見える。どうも私の話は面白半分に聞いているでしょ、と思う時もある。私には「どうー?」とか「その後痛みは?」とか、いつもよく言えばフレンドリー、悪く言えば軽い感じ。
当初は、何かにつけて「(比較的)若いから」と言われ続けていたのでそのせいかと思っていたが、同じ年の患者さんにも「お変わりないですか?」と切り出していると聞いたところをみると、単に子ども扱いされている??
外科医からすると山場は越えているのだろうし、病状にかかわる深刻な話ではないので、息抜きくらいに思っているから程度の理由ならいいのだけれど。

最初はもっとデータに基づく説明をしてほしいと思っていた。あなたの再発率は**%、ホルモン療法の上乗せは*%、化学療法を追加するとさらに*%‥とか。結局今までこの辺りの数値とか、LuminalAだから、とかの言葉は聞いたことがない。
別に書くが、海外サイトや関連因子を散々眺めてある程度の予想で自分で納得している。でもはっきりと10年再発率は?とかを尋ねたことはないので、もしかすると聞けばあっさり教えてくれるのかもしれない。もっとケモの適用に悩んだりする病理結果であれば対応も違っていたのかもしれない。

わからないから答えてくれないのでは?とひねくれていた時期もあったが、できることをできる範囲でやっておいた方がいいよ、という話をする中で「再発させた時に一番後悔するのは**さんだよ」という一言に主治医の考えが凝縮されていた気がする。
この一言をきっかけに、私の中で術後治療に関する考え方が変わった。
うまく言えないし何がどう変わったのかははっきりわからないのだが、やらされている感や拒否感がすっと消えて自分で納得して続けるのだと理解できた。

理屈っぽくわがままで自己主張が強い上に、気持ちの浮き沈みも激しい状態が続いていたにもかかわらず、辛抱強く話を聞いて考える時間を都度与えてくれたおかげで今でも逃げ出さずにいられるのだと常々思っている。

医療現場での医師や看護師の負担増を、医療従事者が自己犠牲を払わなければ成り立っていかない医療供給体制そのものの抱えているひずみが大きくなってきただけだ。患者さんや家族の目を見つめ、丁寧な説明をすればするほど、自己犠牲が大きくなっていく現状を認識した対策ができていないのだ。
http://yusukenakamura.hatenablog.com/

つい精神的にも頼ってしまっているのは自分でもわかっている。私のもやもやで先生の時間を取らせてしまっていることもわかっている。聞いても答えてくれないだろうなぁとか、「ごめんね、よくわからない」と言われるだろうなぁと思ったことも、主治医が答えてくれることで納得できるようになってきた。
これは先生の器が大きいのをいいことに甘えてしまっているとか依存しているといったマイナスのことなのか、(私の側からの一方通行だとしても)良好な信頼関係というようなプラスの面のどちらなのだろう。
ありがたい半面、自己犠牲を強いて疲弊させてしまっているのだとすればとても悲しい。

一番不安な時期は過ぎたのだから、節度ある患者を目指したい。いつもそう思うのだが、疑問や不安が出てくる度につい忘れがちになる。初めてのことは不安で当たり前、それを我慢してストレスをためる必要はない、という言葉を信頼してもうしばらく甘えさせてもらってもいいのかな。
信頼「関係」という言葉の通り、患者側からの一方通行ではなく医師の側からも信用してもらえる患者にならなければならないように思う。でもそれってなんだろう。体調管理をしてきちんと薬を飲むこと?自分の体調を正しく把握して変化を伝えられること?私ができることはなんなのだろう。