昨日の形成外来から、多分もっと前から疑問に思っていた事の答えをようやく見つけた。
取り立てて話しにくい訳でもなく、歳も近く、色々話しかけてくれるけれど、何故か形成主治医との会話が苦手な理由。(というよりギクシャクする、私が一方的に)
生理的に苦手なのか?→別に普通
初対面の時キツい事を言われたから?→言われたけれどむしろ乳腺主治医の方が衝撃的だったし。。
TE 入らないかもと何度も言っていたから?→言われたけれど、だからといって苦手にはならない。。
これといって思いつく理由がなかったのだが、急に気付いた。
恥ずかしいからだ!!
形成主治医は毎回必ず視触診をする。そしてその途中にどんどん話しかけてくる。1年以上経っても、私は裸のまま話をすることが恥ずかしいのだということにようやく気付いた。
それこそ去年の今頃は、今までの人生で見せた人数より沢山の人に1ヶ月で裸を見られて、触られて、おまけに写真まで撮られて。。と辱められている気分満載で、毎回恥ずかしいとか悔しいとか腹がたつとか、なんでこんな事をされないとならないんだとかで頭もココロもいっぱいだった。(病院ごとに検査からやり直ししていたので検査や診察も多かった)
その後も続く検査や診察の中でそれらの感情はしまっておくことが出来るようになったと思っていた。さらに2回の入院・手術・毎日の回診とお世話になっていた主治医に今さら恥ずかしいと感じているのだということに自分で気付いていなかった。
以前に書いたことがある気がするが、形成主治医は私のことを一人の個人としてというよりも手術の対象の本体部分、というように見ている気がしていた。そうか、私は気まずくて居心地が悪いと思っているのに、彼は全く何も違和感を感じずに淡々と話すのでそう感じたのだなぁと色々腑に落ちた。
乳腺主治医とは着替えてから椅子に座って話すから気にならないのだ。そういえばこの間の乳腺外来で、「手術したんだよね、形成先生の作品見せてー」と鑑賞?されていた時は、ほぼ無言になっていたかも。あまりにも反応が薄いので、仕上がりの満足度を心配していた。
つまり誰とであっても「裸のまま」で話をするのは私にとって居心地が悪くて慣れていないということだ。そんな事を言うような年でもないし、先生方はただの患部としか見ていないということは理解しているし、自意識過剰だとは思う。それでもなんでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
よかったー、形成主治医のことが苦手な訳ではなかった。
とはいえ、これから先もまだまだお世話になるのだし、平常心で脱げるようになりたい。(病院では)
昨日の受診時の状態。
傷が広がっている気がする、と言ったのを診てもらうためテープなし。
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テープを貼るとこんな感じ。アトフアインは目立ちにくくて重宝している。