My life! after diagnosed with BC

私の生きる目的ってなんだろう

「何のために生きているのか、その意味を見つけることが大事」

と、漢方内科で言われた。
病気になるまで、生きている事が当然で、生きることに関してなにか考えたこともなかった。
でも、嫌でも考えなくてはならない状況になってから何度かぼんやりとは考えた。というよりも考えざるを得なかった。
細胞診の結果が出るまでの間、ちょうどStageⅣの人の闘病の話題があちこちで全盛だったこともあり、私この先どうなるんだろうということは考えた。
手術後の治療を止めたいと思った時、再発した時に後悔するだろうか、今の生活を優先してその時はその時考えてもいいだろうか、どっちがいいのかわからなかった。
いざ、その時になれば全く違う事を思うとは思うけれど、家族の為にどうしても生きたい!とか、この子の為に死ぬわけにはいかないからどんな治療でも受け入れる!というような強い気持ちは湧かなかった。
だからといって積極的に生きないという選択をするつもりはなく、常識的に治療した方がいいよね、一般的に治療しないと後悔するよね、という感じで、自分の気持ちは考えずに一般的な方を選択した。
そもそも普通ではない状況だし、正しい判断をできる精神状態でもないのだから一般的に勧められる選択が正しいのだと思った。
今でもその選択で正しかったとは思ってはいるけれど、改めて生きるための目的を尋ねられるとやっぱり見当たらない。でも一般的ってなんだろう。一般的な価値観は私の本当の気持ちと一致するのだろうか。

ただ、生まれたからには生きていかなくてはならない。そのためには楽しい事ばかりではない。でもそうはいっても楽しい事やうれしいことややりたいことはたくさんあるのだから、それを積み重ねることが人生を楽しむこと。というくらいにしか思っていなかった。

でも、ヨガで「本来の自分」とか「自分が心地よい状態」を言葉にしようとすると出てこない。
思いついた心地よい状態は目の前の刹那的なものであって本当に求めていることなのかと問われてしまう。
正しい(とされる)答があって、それに沿わないものは「本当に求めているものではなく目の前の欲求でしかない」と言われてしまうような気もする。
でも目の前の欲求に正直に生きているのではだめなのだろうか。
何のために生きているのかを明確化させてそれに近づくために生きていないとだめなのだろうか。

そんな大きな目標を持って生きていないとだめなの?

そういう精神世界のふかーい話は、もっと真剣に取り組んでいる人の話で、極めてくれば見えてくるのかもね、くらいに思っていた。
将来的にそういう観点で物が見れるようになればいいね、くらいに思っていた。
でも、また同じようなことを言われてしまった。
東洋医学系つながりなのか、こういうことを考えるにはヨガもとてもいい、ただ最近のヨガは形ばかりだけど、とも言っていた。

難しい事なのだ、とは言われたが「生きるための目的を見出すこと」ができれば、その目的の前では些細な不調は大したことではなく
もっと幸せに過ごせるようになるのだという。
整体でも東洋医学系だからか、同じようなことを言われている。
自分でそういう人たちを(無意識にでも)探して訪れているからなのか。

 

考え出すと自己嫌悪一歩手前。

目の前の楽しいことや嬉しいことで満足していてはいけないの?

今の私の人生には目的も意味もないから苦しいと思うの?

私が私自身のことをちゃんとわかっていないからいつまでも苦しいの?

健康だった頃の体調にただ戻りたいだけなのに、それは逃避なの?

 

泣いてもストレス溜めるだけでいいことは何もない、あるがままの今の自分を認める、ジャッジしないでただ見つめる、自分に対して優しい気持ちを持つ。

わかっていても全然できない。考えると涙が止まらない。考えるのをやめることもできない。ぐるぐる同じ事を思って、ただ悲しくて虚しくて苦しくなる。

答えはすぐに出ないのだから不毛な負のループから抜け出したいのにやめられない。

こんな状態になる事はしばらくなかったのに。どうしたらいいの。