My life! after diagnosed with BC

熊野の魅力♡

熊野について調べている中で読んだ、和歌山県知事がスペインで開催された「第1回巡礼道フォーラム」で熊野古道について話した記事がとてもよかった。

知事からのメッセージ


熊野の話はややこしくて難しくて、なかなかすっと入ってこなかったのだが、これはシンプルに熊野の魅力が伝わってきていいなあと思った。

 

熊野は、都が置かれていた京都からずーっと南のうっそうと茂った山の奥。
森の木々や岩や山や水のせせらぎや滝にも神がいると考えるので、当時の京都に住む人々にとっては神々が住んでいる神聖な場所、先祖の魂が集まっている所として大切に思われて、自然の化身として神を祀る神社が信仰の対象になった。
その後、朝鮮半島から仏教が伝わると、新しい宗教・仏教を受け入れて、違いをことさらに強調して争うのではなく他者を尊重しながらありのままを受け入れるという「寛容の心」で神道を捨てることなく仏を神に取り込んだ。(神仏習合


この寛容の精神は4つの不問、「老若男女を問わず、貴賤を問わず、浄不浄を問わず、信不信を問わず」という言葉にも表れている。

熊野は一切の差別なく、お参りする人は全て受け入れる。
昔、参拝は「老若男女を問わず」「貴賤を問わず」ではなく、参拝ができるのは身分の高い男性に限られていた。でも、熊野では誰でもOK。
「浄不浄を問わず」は、罪を犯した人でも改心すれば蘇りのためにお参りできた。
「信不信を問わず」は熊野の神々を信じていなくても、熊野三山に参詣する人の魂は蘇るということで、仏教も神道密教修験道もそのほかの神を信じる人たちも受け入れる。宗教の聖地で自分の信じる他の神に祈ってよいという、究極の宗教的寛容さ。
名前ややり方は違っていても、祈るその行為と心に違いはない。

熊野古道は主に深い神秘的な森の中を通る。
森の木々や岩や山や水のせせらぎや滝にも神がいると考えるので、巡礼者は神々の中を神々に守られながら歩き続ける。

‥おおむねこんな感じだと思う。

観光半分で1時間か2時間くらいしか歩かない計画だが、いつかもうちょっと本格的に歩いてみたい気持ちになる。